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「運転手さん、助けてください!」 誰もいないはずの未明4時、後部窓をたたいたカップルの懇願【東京タクシー百景vol.2】

2023.11.13 橋本英男

タクシードライバーが見た東京の実相とは――? 今回は、乗客などほとんどいない未明4時に後部座席の窓をたたいたカップルの懇願について。

人がタクシーに乗る時間帯はいつか?

東京の街を行くタクシーのイメージ東京の街を行くタクシーのイメージ

 常に変わりゆく時代の群像を一番間近に見続けてきた職業、それはもしかしたらタクシー運転手かもしれません。小さな車内で交わされる、ほんのいっときの人間模様。喜怒哀楽や幸不幸を乗せて、昭和から平成、令和へと都会を駆けたドライバーの筆者が、その一端をお話しします。

※ ※ ※

 皆さんがタクシーに乗るのはどのようなタイミングでしょうか。

 取引先との重要な打ち合わせに遅れてしまいそうなとき。繁華街で飲んでうっかり終電を逃してしまったとき。天候が悪くバスのダイヤが乱れているとき……。こうしたシチュエーションが多いかもしれません。

 交通工学研究会が編集・発行している「交通工学論文集」の、2020年6巻2号「GPSデータを用いたタクシー運行実態の分析と効率化の可能性」によると、平日は午前9時台に需要のピークがあり、金曜・土曜の週末には21~24時台の深夜帯に乗客が増えることが分かります。

 金曜と土曜は未明の25~26時(土曜・日曜の午前1~2時)でも、平日の昼間と同じかそれ以上のニーズがあるというデータは、皆さんの肌感覚とも合うのではないでしょうか。

 それでは、乗客が最も少ない時間帯はいつか。それは午前4時台。今の時期なら当然夜も明けておらず、辺りは真っ暗。住宅街なら人っ子一人いませんし、繁華街であっても1時間も待てば始発が走り出すのでそれを待つ人が多いのでしょう。

 そんな、誰も乗るはずのない未明4時より少し前でした。そのカップルが私の後部座席の窓をたたいたのは。「助けてください!」と必死の形相。長くタクシー運転手をやっていても、あまりある経験ではありません。

未明の高田馬場駅、タクシー乗り場で

東京の街を行くタクシーのイメージ東京の街を行くタクシーのイメージ

 5、6年前です。まだ夜明けの気配を見つけられない静寂の時刻、車窓の外は冷たい雨が降っていて、ここは日中の人混みがウソのようなJR高田馬場駅前、タクシー乗り場。

 筆者のタクシーは先頭車から順番で4台目の最後尾。駅前ビル「ビッグボックス」の角にいました。

 この時刻なのでまあ客もないだろうと半ば休憩のつもりでぼんやりバックミラーを眺めていたところ、バタバタと駆け寄ってくる若い男女が見えました。

 傘も差していません。二人とも必死の形相です。おや、どうしたものかと気をやると、筆者のタクシーの後部窓をどんどんとたたいてくるではありませんか。

 順番破りは御法度なので先頭車に行ってもらわないと困るなあと思いながらも、とりあえずドアを開けました。「お客さん、すみませんが」と言いかけたとき。

「運転手さん、助けてください!!」

 二人はカップルのようでした。20代前半か、雨にぬれたからか泣いているのか、とにかく尋常ではない状況であることは伝わりました。

「どうしたんですか? 何かありましたか?」
「この子が……私たちのハッピーが死にそうなんです。今すぐ動物病院に連れて行ってください! どこでもいいですから」

 見ると、女性の腕の中に小さな白いモフモフが抱えられているのが分かりました。これは……昔テレビのCMで見たことがあります。消費者金融のCMで、かわいい小首をかしげて「どうする?」と視聴者に訴えていた子犬、チワワです。

 ハッピーという名らしいそのチワワは、両目を閉じて顔がピクピクと震え、息も絶え絶え、足など痙攣(けいれん)しているではありませんか。

「ええーっと、こんな時間だと……新目白通りに知ってる動物病院があるけど、百パー閉まってるよなあ」

 後になって調べてみれば、夜間救急に対応している動物病院や医療センターなどが東京都内にいくつもあるようです。ただこのとき筆者はその存在を知らず(このようなお客さんは初めてでした)、当の二人も、インターネットで検索する暇も惜しんで家を飛び出してきたようでした。

「助けてください! 病院に連れてってください! このままじゃハッピーが死んじゃう!」と、取り乱して絶叫する二人。

次は…とっさの判断、思いがけない結末

元タクシー運転手、ライター 橋本英男

タクシーのハンドルを握って40年。その傍らライターとしても活動し、自著も複数ある。東京の交通事情に詳しい。

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