ドラマ「子宮恋愛」最終回、「私以外は、私の人生を生きられない」自分を取り戻すラスト30分が光る。
2025.7.1 北村有
「子宮恋愛」を振り返る! 夫・恭一の復讐…まきに恋をした山手…。まきが放った言葉が全てを物語る。
暴走する夫・恭一と、揺れる登場人物たち

※ネタバレあり※
刺激的なタイトルからは想像もつかないほど、本作「子宮恋愛」は繊細なドラマだった。主演・松井愛莉が演じたのは、夫にすら本音を言えず、自分の違和感に蓋をし続けて生きてきた主婦・まき。最終話で描かれたのは、そんな彼女がついに自らの人生を「自分の手に取り戻す」までの過程だった。
この物語が深夜ドラマ枠に放送されていたことが、もったいないとすら感じる。婚姻関係の空洞化、自己犠牲の美徳化、ジェンダーロールへの違和感といった社会的テーマを織り込みながらも、あくまで一人の女性の視点から語られた選択と再生の物語だった。
物語は、まきが職場で倒れるところから大きく動き出す。妊娠が発覚し、その子が夫・恭一(沢村玲)の子ではないと知った瞬間、恭一は激昂する。まきを責め立てたその場で、彼女の恋人である山手(大貫勇輔)が「彼女の恋人です」と名乗り出るシーンは、本作でも指折りの名場面だった。
そして物語は、予想を裏切る暴走へと進む。恭一はまきと山手に復讐するかのように、教え子の中島里菜を自宅へ招き、自らの歪んだ正義を語りはじめる。そこには明らかに危険な空気が漂い、緊張感が視聴者を包み込んだ。まきは偶然にも寄島と共にその現場へと急行し、崩れかけたバランスのなかで、自分の役割に向き合うことになる。
沢村玲の怪演が支えた物語の緊張感

このクライマックスを支えたのが、恭一を演じた沢村玲の存在だ。ダンス&ボーカルグループ「ONE N’ ONLY」のボーカルでもある彼だが、俳優としての実力は、この最終回で完全に証明されたと言っていいだろう。
恭一というキャラクターは、一面的な悪人ではない。仕事への誇り、まきとの関係に対する未練、愛情と所有欲の混ざり合い。その複雑さを、沢村は怒声や涙だけではなく、間の取り方や視線の揺らぎで見せていた。
とりわけ、寄島(吉本実憂)との再会シーンは見ものだ。約束を守れなかったことを告白し、過去を振り返りながら嗚咽する恭一の姿は、救済でも罰でもない、ただ赦しの気配が立ちのぼるような瞬間だった。
このドラマは、恋愛や不倫というジャンルに収まるものではない。まきが最後に放った「私以外は、私の人生を生きられない」というセリフがすべてを物語っている。自分が感じる違和感を、誰かに預けてはいけない。嫌なものを嫌だと言う勇気を持つこと。それがどれほど難しく、どれほど尊いかを描いたのが「子宮恋愛」だった。
まきに恋をした山手の「巻き込ませてよ。まきの人生に、俺も入れて」という言葉も、自己犠牲を求めるのではなく、対等で自立した関係を築こうとする意思がにじんでいた。単なるハッピーエンドではなく、覚悟を伴った新たな一歩として、このドラマは幕を下ろした。
チューリップの比喩が示した、希望の余白

最終回で静かに語られたもう一つの印象的なセリフが、里菜の「チューリップは、球根が生きていれば、また芽が出てきて咲きますよ」という言葉だ。関係性が崩れても、戻れない日々があっても、「根っこ」が生きていれば人は立ち直れる。
これは、まきと母・啓子との関係にも、恭一と寄島の間にも、重なるメッセージだ。たとえ同じ形には戻れなくとも、人は向き合い直すことができる。自分の人生を生きるために、他人との関係性もまた更新されていくべきものだと、本作は優しく教えてくれた。
最終話の30分間には、涙と衝撃、そして静かな確信が詰まっていた。「子宮恋愛」という挑戦的なタイトルが示すように、これは単なる浮気や不倫のドラマではない。「子宮が恋をした」とは、理屈ではなく、魂が動くほうへと自分を導くことの象徴だったのかもしれない。
視聴後に残るのは、ヒロインのまきが少しずつ声を取り戻していった姿の余韻だ。あのセリフが、きっと多くの視聴者に届いたはずだ。
ライター。2019年に独立。主に映画やドラマ関連のレビューやコラム、インタビュー記事を担当。主な執筆媒体はtelling, / ぴあWeb / CYZO ONLINE / TRILL / LASISAなど。映画館と純喫茶が好き。
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