「女が風俗を使っちゃダメですか?」ドラマ「ジョフウ」最終回が描いた、性と尊厳
2025.6.7 北村有
“女性用風俗”を舞台にした新ドラマ「ジョフウ ~女性に××××って必要ですか?~」9〜10話の内容を振り返る! “女性にとっての風俗”の意味について。
風俗に「恋」はいらない?“回遊”のすすめに見る、性と感情の切り分け

※ネタバレあり※
深夜ドラマのなかでも異彩を放ち続けた“ジョフウ”「ジョフウ ~女性に××××って必要ですか?~」が、ついに最終回を迎えた。第9〜10話では、主人公・藤崎アカリ(山崎紘菜)が、自身の生き方と“女性にとっての風俗”の意味を深く見つめ直す展開が描かれた。性や癒しにまつわるタブーに誠実に向き合い、社会に問いを投げかけた本作は、多くの視聴者の心を静かに揺らした。
第9話で印象的だったのは、アカリが対応した雑誌取材で語られた、あるユーザーの体験談だった。夫と10年間セックスレスだったというその女性は、女性用風俗「パラディーソ」で新人セラピストのゴコウ(橋本淳)に出会い、心も体も満たされる時間を得た。
しかし、彼のことを好きになってしまい、これ以上“沼っては危険”と指名をやめる決断をしたという。
「恋をするためにジョフウを使っているわけじゃない。快楽を得るために使っている」という彼女の言葉には、恋愛と性を切り離し、自分の癒しや欲望に対して主体的に向き合おうとする強い意志がにじんでいた。
この経験談にアカリは深く共鳴しながらも、取材ライターから投げかけられた「女性に風俗は必要ですか?」という問いには、言葉を詰まらせてしまう。答えが一つではないからこそ、この問いは視聴者の側に答えを預けられたのだろう。
セラピストも、ユーザーも、ただ「癒されたいだけ」なのに

10話(最終回)では、アカリが自らジョフウを利用し、性感マッサージ抜きでセラピストと語り合う場面が描かれた。
内勤としてセラピストの葛藤や過酷な現実に触れてきたからこそ、アカリは「それでも救われる人がいる」と信じている。セラピストたちは単なるサービス提供者ではない。リオ(別府由来)のように自己肯定感を失ってしまいながらも、誰かに寄り添いたいと願う人間だ。
それぞれのセラピストが持つ“優しさ”の形も印象的だった。ゴコウはYouTubeを通じて男性たちから女性について学びたいという依頼を受け、知識を分かち合う。
一方、タロ(藤林泰也)は、長期予約を延長し続けるユーザーに困惑しながらも、彼女が「朝起きて、隣に人がいる関係」を心から求めていると知り、思わず息を呑む。風俗の利用者にとって、それは単なる快楽の場ではなく、深い孤独を埋める“人との接触点”なのだ。
「必要な人には、必要です」藤崎アカリが見つけた“風俗”の意義

最終回でアカリは、「女性に風俗は必要か?」という問いに、自分なりの答えを見出していく。「必要な人には、必要です」と語るアカリの姿には、これまでのすれ違いや葛藤を乗り越えた確かな成長があった。
視聴者からは「話を重ねるたびに成長している」「もっとジョフウが増えるといいな」といった声がSNSで多数寄せられた。
彼氏との別れ、セラピスト・リオとの関係、内勤としての仕事。すべての出来事を経て、アカリは「自分自身に優しくあること」が、誰かとつながる前提であると気づいたのかもしれない。風俗とは、誰かの心や身体を癒す“手段”にすぎない。しかしその手段があることで、人生の谷底で立ち止まったときに、もう一度歩き出せる人がいる。
「ジョフウ」が描いたのは、“女性の性の解放”という派手なテーマではなく、“ひとりの人間が、自分の心とどう向き合っていくか”という、普遍的なドラマだった。だからこそ多くの視聴者が、ときに笑い、癒されながら、この物語に寄り添えたのではないだろうか。
動画配信サービス Netflix にて独占配信
Netflix:https://www.netflix.com/title/82019506
ライター。2019年に独立。主に映画やドラマ関連のレビューやコラム、インタビュー記事を担当。主な執筆媒体はtelling, / ぴあWeb / CYZO ONLINE / TRILL / LASISAなど。映画館と純喫茶が好き。
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